最初に作品を発表したのは20歳くらいの時。形にして見せたいという気持ちを抑え切れなくなった。

第3回 石塚元太良 Photographer

20歳くらいの頃は手当たり次第何でも疑っていた

写真は自分で決断して、
1人でできる作業だった

---いつ頃から、どのように写真を撮り始めたのでしょうか。

映画がきっかけです。高校3年くらいの、これからどんな人生を歩んでいくべきかといったことを考える時期に、ほとんどの時間を映画館で過ごしていました。例えば、京橋のフィルムセンター、銀座、高田馬場、池袋、新宿、渋谷の繁華街にある名画座など。闇から闇へ移動するような生活をしていました。映画館って暗闇だけど、ひとつの作品を通じて観てる人みんながイメージを共有するような場所。夢みたいなものに憧れるそんな空間が好きだったんでしょうね。

それで、20歳前後にムービーを回し始めました。当時、友達を晴海あたりのスクラップ工場や廃止された線路を歩かせたりして。でも、あまりに自分の作品がつまらなくて、誰かに見せる気にもならなかったんです。それより写真のほうが、同じスクラップ工場を撮っても断然楽しかった。ムービーのように誰かを説得したり、誰かと一緒に考えたりするより、写真は自分で決断して一人で完結できる作業だったんで性に合っていたんです。

みんな大学受験とかして進学が決まっていったけど、僕は卒業式の3日後くらいに沖縄に行っちゃって。その時の不安感って今でも覚えています。みんなが新しくスタートを切っている時期にふらふらしていて、大丈夫かなって。そういう状態だったからカメラを持ったっていうのもあると思います。まさかずっとやるとは思わなかったですが(笑)。

---大学に入ってすぐ海外に行ったと聞きました。

大学は一浪して何週間か行っていたんですけど、ほとんど通わずに、旅に出ました。ロシアやイラン、台湾、ギリシャ、ポルトガルとか世界中の映画を観ていたということもありますが、映画って、国境を越えているなあと思わされることが多くて。旅行をし始めたきっかけも完全に映画ですね。

当時は、手当たり次第何でも疑っていました。自分の人生はこれからホントに何十年も続くのかとか、日本で常識とされていることは世界中どこに行っても通用するのかとか、アメリカ大陸があるって地図に載っているけど実在するのかとか(笑)。自分の身体を使っていろんなことを確かめていたような感じです。一番最初に香港に行ったときは最初から野宿。香港の返還の日は、熱気とか、街の雰囲気がすごく怖かった。無銭旅行ばかりして、飲まず食わずの旅をしても生きて帰ってきてしまいましたね(笑)。

写真を自分の生業にしている自覚はすごくあった。
何でも撮らなきゃと思うし、何でも撮りたい

---写真は全て独学で覚えていったと聞いていますが。

学校で教えてもらったことはないですね。全て独学です。暗室作業なども自分で本を読んだり勉強したりして。

25歳くらいでやった最初の写真の仕事は、知人の紹介でした。代々木にある写真屋さんで証明写真を撮るという。季節労働者みたいな感じですが、20歳前後の受験生が年末の願書を出すために撮りに来るんです。単純に二灯だけ立てて、35ミリのネガで一日、100人くらいの証明写真を撮っていた。面白いもんで、次から次へと撮っていると人の顔が野菜みたいに見えてくるんですよ。ジャガイモみたいとか(笑)。自分がだらっとすると、アッチもすごくだらっとするし、写真の仕事をする上で、心構えができたというか、勉強になりました。

---作品はどのようにして発表していきましたか?

最初は20歳くらいの時。街や友達をモノクロで撮ったものを50点ほど展示しました。形にして見せたいという気持ちを抑え切れなくなったんです。今のようにメーカーやギャラリー、もちろん業界の人も知らなかったから、自分のアパートの隣を借りて勝手にギャラリーに改造して(笑)。でも、やってみて残ったのは挫折感だけでした。

表現って、自分と自分が向き合っている写真と、それを見る不特定多数の人という三角関係が成り立ってはじめて成立すると思うんです。写真集だったら、最初に待ち構えているアートディレクターや写真を見てくれる人との関係のように。当時はそういった社会的な要素が無かった。友達以外の人に見てもらわないと、ただのカメラ好きで、クビからカメラさげてるおじさんと大差がないですから。

---作品はどのようにして発表していきましたか?

20代の頃は写真以外の仕事もずっとやりながら、自分の作品を作っていることが多かったんですが、今は雑誌を中心にポートレートや、音楽やファッション関係の撮影をしています。写真の仕事がもらえるのってやっぱり今でも単純にひとつひとつが嬉しいんですよね。今ほど仕事をしていない頃でも、写真を自分の生業にしている自覚はすごくあったし、「教わったことがない」とか「アレ撮れない」とか絶対に言えないですよね。何でも撮らなきゃと思うし、何でも撮りたいと思います。

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Gallery

「WWWWW NYC」 2005年

「WWWWW Kenya」2005年

「WWWWW Germain」2005年

「WWWWW Tibet」2005年

「WWWWW Ethiopia」2005年

「PIPELINE ALASKA」2006年

「PIPELINE ALASKA」2006年

「PIPELINE ALASKA」2006年

「PIPELINE ALASKA」2006年

「PIPELINE ALASKA」2006年

Profile プロフィール

石塚元太良
Gentaro Ishizuka
Photographer

1977年東京都出身。月島に育つ。早稲田大学中途退学。19歳からスリランカ、ドイツ、アラスカなど約60カ国を旅しながら、撮影を続ける。現在は『ecocolo』『STUDIO VOICE』『NEUTRAL』などの雑誌を中心にポートレート、音楽、ファッション関係など幅広い分野で活躍する。
2001年にエプソン カラーイメージングコンテスト大賞、2003年にヴィジュアルアーツフォトアワード大賞、2004年に日本写真協会賞新人賞を受賞。
1998年「Godsummer」コニカフォトプラザ、1999年「コンクリート大作戦」Galley Niepes、2001年「world wide wonderful」新宿epsite、2002年「world wide warp」東京ヴィジュアルアーツギャラリー、2003年「日本写真家協会年度展」富士フォトサロン、2006年「WWWWW」Lotus Root Gallery、2006年「New vision of photographey 展」雅巣画廊 上海、2007年「WWWWW」原宿クルックライブラリーなど数々の個展やグループ展を開催。
2001年『world wide wonderful』(Niepes)2003年『world wide warp』(ヴィジュアルアーツ)2006年『WWWWW』(青幻舎)2007年『PIPELINE ALASKA』(プチグラパブリシング)などの写真集を出版。
今年4月下旬には東京の風景をカヤックから撮った写真集『INNER PASSAGE』(エスプレ)発売予定。

Item アイテム

パイプラインの撮影で使ったダークバック。4×5のカメラが入るサイズで、アラスカの撮影で石塚氏を支えた道具のひとつ。 「アラスカでたった一人テントの中で、手を突っ込んでフィルムチェンジをしてるなんて、すごく変なことやってるなと思いながらやってましたね。 魔術師みたい。光が届かないところでやる作業は好きですね。家にいる時はほとんど暗室にいますし(笑)」

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