写真は、言葉以前の世界と向き合うためにある。

第 7 回 石川直樹 Photographer

好きな旅をして、そこで出合った世界そのものの強さを伝えたい。

「1日1本撮れ」とフィルムを大量に渡されて、
初めて1年間毎日写真を撮った

---写真との最も印象的な出合いを教えてください。

20歳から21歳の時に、北磁極から南極点までを人力で踏破する「POLE TO POLE 2000」というプロジェクトに参加して写真を撮ったことですね。初めて一眼レフカメラを肌身離さず持ち歩き、1年間、毎日必ず写真を撮りました。一眼レフといっても、キヤノンのEOS Kissというお母さんが子供を撮る時に使うようなとても手軽なカメラだったんですけど。

「1日1本撮れ」って、ある新聞社の写真部の方がフィルムを大量にくれたことがきっかけです。それまではお金がなくて大量のフィルムを買えなかったので、1日1本(36枚)撮りきることなんて考えられなかった。もちろん最初は全然撮れなかったです。でも、身体が反応したすべてを記録するということを自分に課して、無理してでも毎日撮るようにしました。そして、最終的には撮影済みフィルムが500本ほど溜まったんです。コマにして約1万8000カットですね。カメラは3台同じのをもっていきましたが、どれも一度は壊れました。これが、僕の写真の原点になっています。

---そもそも写真を撮り始めたのはなぜ?
撮るのが楽しかったんでしょうか。

中学の頃から旅が好きで、よくひとり旅をしていたこともあって、撮るのが楽しいというよりも自分が見たものをきちんと記録しておこうと思ったからです。芸術的なものを撮ろうとか、立派なものを撮ろうという気持ちはさらさらなかったですね。

---初めて写真を発表したのはいつですか?

「POLE TO POLE」に参加するより前になります。17歳で行ったインドでの体験をもとに、旅行会社が発行する小冊子で「高校生でも行けるインド」という連載をしていて、そこに掲載したのが最初です。大学生が作っている手作りの冊子でしたが、そこに高校生の僕がひとりだけ混じって参加していました。
執筆も撮影もしたし、最後には編集長まで兼任しました。小林紀晴さんや星野博美さんなど写真と文章で作品を発表していた方にインタビューに行ったこともあります。当時はお二人ともデビューしたばかりでした。

---写真集を初めて出版することになったのは
いつ頃ですか?

きっかけになったのは、当時在籍していた早稲田大学の授業で、写真家の鈴木理策さんに写真を見てもらったことです。僕はその授業の中で「POLE TO POLE」で撮ったポジフィルムを、スライドで壁に映して発表したんです。長い旅の様子を時系列に並べて見せていきました。それを理策さんがおもしろがってくれて、それから時々写真を見てくれるようになったんです。

そんな中、エプソンのギャラリー、「エプサイト」のキュレーターの方が、作品を気に入ってくださって写真展を開催できることになりました。そしてその展示を写真集にできないだろうかという話が出て、僕の初の写真集『POLE TO POLE 極圏を繋ぐ風』につながっていったんです。

撮りたいものを撮るのが大事。
たとえ他人に何と言われようと

---そこから、プロの写真家としての活動が
始まるわけですね。

僕の中では、プロの写真家になるとか、あるいは作家になるとか、そういった肩書きを身にまとうような感覚にはちょっと違和感があるんです。格別、写真家や作家になりたいと思って活動してきたわけではなくて、作品を制作していく中で、後からそう呼ばれるようになった。好きな旅行をして、自分が見てきた驚きや想い、なにより自分が出合った世界そのものの強さみたいなものを伝えたい、そう思って活動してきた結果、僕の場合は残った表現手段が写真を撮ることや文章を書くことだったわけです。
写真については、もともと観るのも撮るのも好きでしたし、自分が旅で見たもの、出会った人々をきちんと撮りたいと思って、大学生の時に東京綜合写真専門学校にも1年だけ通いました。

---肩書があることで、安心するという人は
多いと思います。

写真家は名乗ってしまえば、誰でも写真家です。重要なのは、自分がこれを撮りたい、写真を通してこういうことをしたいという思いや動機なわけで、撮りたいものも特にないのに、写真家を名乗ってもつまらない写真しか撮れないと思うんです。肩書きなんて本当はどうでもいいんですよ。

自分が撮りたいものを撮る。たとえ他人にかっこ悪いとかなんとか言われても、ただ撮りたいものを撮ればいい。他人の目を気にして撮るようになったら、当然ダメになりますよね。

写真集を作ることが自分の作品の最終形

---写真集についてお伺いします。
次々と新作を発表されていますが、
これだけ出し続けるのはとても難しいと思います。
なぜ実現できるのでしょうか。

写真集を作ることは出版社との共同作業ですから、デザイナーや編集者の方との相談も大切ですよね。出版して流通させるということは、自己満足や独りよがりではなく、作品に一定の強度も要求される。そうしたことをクリアできているかどうかは、自分だけの判断ではなく、いろいろな要素が関わってくることです。試行錯誤しつつ、偶然の出会いなんかも重なってようやく出版にこぎつけられるわけで。だから方法を問われても答えようがないんです。もちろん自費出版なんかはまた別ですけどね。

---なぜ写真集?

本という形態自体がとても好きなんです。展覧会などで発表するよりも、写真集を作って出版することが、自分の作品の最終形だと考えています。本を制作していくという作業行程もすごく好きですし、展覧会よりもたくさんの人に見てもらえる可能性があるので。

---写真集の制作には、どれくらい
関わっていらっしゃるのでしょうか?

写真集は、写真の枚数や並べる順番は最初大まかに自分で決めます。たとえば、『NEW DIMENSION』は、自分が旅をする中で壁画と遭遇するプロセスを同時に見せたかったので、それを意識しながら構成しました。
入稿しても最後の印刷で色がどうなってしまうかわからないので、印刷所での立ち会いは、編集者やデザイナーに任せず、いつも一緒についていきます。やっぱり最後の工程まで見届けると、本ができあがった時により嬉しいんですよね。

---展覧会は美術館やギャラリーから
依頼があるのですか?

3月に富山で行われていた写真展「TRAVELOGUE 2000-2009」は、地元のお客さんからの要望などによって開催が決まったと聞きました。先日まで国立新美術館で開催されていた『ARTIST FILE2009−現代の作家たち』は、学芸員の方が今までの僕の作品を見て選んでくださったんです。

これまでは、自分からギャラリーに写真を持ち込むことも多かったです。カメラメーカー系のギャラリーは応募して審査に通ればできますし、コマーシャルギャラリーはいろいろな縁もありますよね。

---『ARTIST FILE2009−現代の作家たち』は、
国内外で活躍する9名の作家による展覧会でした。
石川さんはどんな作品を展示したのですか?

いままでの代表作「POLAR」「Mt.Fuji」「NEW DIMENSION」「VERNACULAR」から出品しています。写真は僕ひとりだけでした。他は、絵画や立体、映像などの作品です。

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Profile プロフィール

石川直樹
Ishikawa Naoki
Photographer

1977年東京生まれ。
2000年、「POLE TO POLE 2000」に参加して北極から南極を人力踏破、2001年、七大陸最高峰登頂を達成。『THE VOID』(ニーハイメディア・ジャパン)により、さがみはら写真新人奨励賞、三木淳賞受賞。先史時代の壁画をめぐる旅をまとめた『NEW DIMENSION』(赤々舎)、北極圏をテーマとした『POLAR』(リトルモア)の2冊により、日本写真協会新人賞、講談社出版文化賞を受賞。開高健ノンフィクション賞を受賞した『最後の冒険家』(集英社)ほか、著書も多数。最新写真集『Mt.Fuji』(リトルモア)『VERNACULAR』(赤々舎)をはじめ、近年の活動が評価されて2009年度の東川賞新人作家賞を受賞した。東京芸術大学大学院美術研究科博士後期課程修了。多摩美術大学芸術人類学研究所研究員。

URL http://www.straightree.com/

Item アイテム

プラウベル・マキナ670
「6×7サイズですが、蛇腹によってお弁当箱ぐらいになるんです。壊れやすいですが、ぼくは旅に適したカメラだと思っています。もう5,6年使っているかな。いつも鞄の中に入れています。『POLAR』は全部これで撮りました」

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