やりたいこと、知りたいことの答えを見つけるためだったら、たとえ失敗しても納得できる。自分の声に耳を傾け撮り続ければ。

第8回 浅田政志 Photographer

作品もたまる上に、
人間的に成長している実感も得られた

---そうして撮っていたものが、
07年にまずユトレヒトから、
08年に赤々舎から出版されました。

知人がユトレヒトの方と知り合いだったんです。飲み屋で会って、そこで写真を見てもらいました。「写真集、出してみようよ」と言ってくださって。飲みの席だし「本当かな…」と思っていたんですが、次の日に電話がかかってきて「どうですか?」と。ちょうど写真展も近かったので、700部刷って出版することになりました。それが、嬉しいことにすぐ売り切れちゃって。

---その後、形を変えて新たに
写真集『浅田家』を出版されました。

ちょうどその頃、兄が結婚して家族が増えたんです。もうすぐ、家族写真は4人ではなく5人になる。4人での写真は、もうやり切ったという気もしていましたし、そろそろ次の段階に行こうと。

そのためにも、以前出版したものに新たに撮った分も足して写真集にできたらと思ったんです。

---赤々舎で出版が決まるまでに、
7社くらい出版社を回られたと聞きました。
売り込み先での反応はいかがでした?

「面白い!」とは言ってもらえましたが、結局ダメ。写真家個人の家族写真をだれが喜ぶだろうか、写真集としてはあまり利益が見込めないだろう、というのが出版に至らなかった理由の大半でした。1か月待たされて、「ありがとうございました」って事務的な手紙がついて写真が帰ってくる。「オレの可愛い写真たちをー!」って(笑)。

赤々舎では、「面白いね、楽しいね!」って、その場で「写真集を出そう」と決定。ありえないです。直感も勢いもすごいなと。

---家族写真に浅田さんご自身が
夢中になった部分もあったのでは?

東京で独立したばかりの頃、食えていない時期があって。フリーカメラマンとして仕事をしていく厳しさに直面して、家族写真を撮ることに走ってしまった、という面もありましたね。

三重の地元に帰って家族で写真を撮ったり、その合間に友達と遊んだりすることで、気持ちがリセットできたんです。
正月に地元に帰って三が日を過ごして東京に戻ると、またやる気でる!みたいな(笑)。そういうのって、僕だけじゃなく、みんなに共通している部分だと思うんです。単純に、故郷とか自分を支えてくれる人の存在に気づけて、今の自分が幸せに思えてくる。地元で撮ると、そういう思いになるので、やみつきになってしまって。

作品もたまる上に、撮ることで人間的に成長しているという実感も得られるし、本当にいいサイクルになったんです。
生きていく原動力になりましたね。

---家族写真を撮る前から、ご家族は仲が良かったんですか?

普通ですね(笑)。ただ、僕の家では、朝と晩は家族で一緒にご飯を食べるという決まりがあるんです。

今でも実家に帰れば、たとえ友達と遊んで朝6時に帰って寝たとしても、7時にはおかんに起こされます。1回呼ばれただけでピッと起きられる。もう染みついているんです。

家族って何だろうと、どんどん興味が深まった。
いろんな家族と接することによって、
何かを見出せるかもと

---子供の頃からの習慣は、大人になっても影響大ですね。

そういう意味では、毎年、年賀状用の家族写真を撮っていたのも、浅田家の決まりというか、家族行事の一つですね。僕が今やっている写真は、親父がやっていたことを、新しい形で引き継いでいるだけなのかもしれません。

蓋をあけてみれば、こうやったらもっと面白くなる、と自分なりのやり方でやっているに過ぎない。写真も親父が撮ったものとどこか似ているんですよ。そんなことを考えると、家族というのは、自分とめっちゃ密接なんだと改めて感じます。

---他のご家族を撮る「みんな家族」というシリーズは、
なぜ始められたんですか?

浅田家を撮り続けていくうちに、「家族って何なんだろう?」とか「家族って一体いつの時点から“家族”なのか?」とか、いろいろ考えるようになったんです。「家族」というテーマについて興味が深まったわけです。最初から家族といえるかもしれないし、家族という関係を自分たちで作っていくものなのかもしれない。

いろんな家族と接する中で、何かしらの答えを見出すことができるんじゃないかと考えて、他の家族も撮ることにしたんです。長い間、自分の家族を撮ってきたので、どうしたら思い出になるかとか、現場がイキイキするかなどなんとなく分かる部分もある。撮らせてもらうことを通してその方たちを喜ばせることができるかもしれないとも思ったんです。

---応募されたご家族は、全て撮られるんですか?

順番に撮っていきます。実はいま、約170組のご家族から応募がきていて、12、3年待ちになっているんです。

---撮影することで、いろんなご家族の愛情にも
触れられそうですね

それが一番ですね。それに、すっごいパワーをもらえます。その分、もっと頑張らないとという気持ちにもなります。
「みんな家族」は、お金をもらわないし、仕事じゃないんです。僕は家族写真が撮れるなら、仕事も楽しくできる。仕事だけだと、僕はもたないかもしれません。

---家族写真を撮ることが、ご自身の生き方に通じる
行為になっているような気がします。

確かに、撮り続けることで、自分のことが以前より分かるようになってきたと思えるし、成熟したというか、よくなっているような気がします(笑)。実際、得るものも多いですし。

---浅田さんにとって「よくなる」とは?

勘違いしないということですね。僕は本当にテキトーなので、家族への感謝とか、すぐ忘れちゃう。特に、東京で生活していると、そうした大切なことを見失ってしまうんです。

家族がいるからこそ今の自分がいる。そうした当たり前だけど大事なことに気づけたのは、家族写真と出合えたからです。撮り続けているうちに、少しずつ自分がやれること、やりたいことも見えてきたような気がします。家族写真は僕にとって、唯一の学問ですね。本当にいろんなことを教えてくれます。

---いろんなご家族に触れる中で、
気づいたことはありますか?

やっぱり家族って、話し方から考え方からものすごく似ている。いい悪い含め、どれだけ親に影響されているかというのを目の当たりにします。

今は家族の力が、あまりうまく機能していないと言われていますが、最大限に力を発揮すればいいんじゃないかな、と思います。今の時代、人との付き合い方が希薄化していて、本気でぶつかり合ったり、無償で誰かのために協力したりすることが、少なくなってきている。それは、人と人との関係の一番根っこの部分の家族の力が、昔より揺らいでいるからなのかな、という気がしているんです。

でも、ちょっとした何かのきっかけで、家族の力は取り戻せるし、正常に働くのではないかと考え始めたところです。僕がどこかのご家族の写真を撮ることで、その家族に何かしらの変化が起きるかもしれない。少しでも社会を変えるきっかけを作れればと思うし、そういう写真家になりたいですね。

撮ることで自分が変わっていった。
今でもそれを望んでいるし、
これからももっと変わっていきたい

---第34回木村伊兵衛写真賞を受賞してご自身の生活や
写真を撮るスタンスに変化はありましたか?

僕たちに「よくやったな!」と言ってくれた賞ですね。ひたすら家族に迷惑かけてやってきましたから。両親も喜んでくれたし、兄ちゃんも「ちょっと報われたような気がするわ」って言ってくれた。写真集を知ってもらえるきっかけにもなりました。もちろん、「木村伊兵衛賞を受賞した写真家」という肩書を、乗り越えなくてはいけない課題もできましたが、それは、面白がりながらやっていければと思います。

僕は、写真を撮ることによって、自分が変わっていったという実感があります。今でもそれを望んでいるし、これからももっと変わっていきたいと思ってます。

当面は、「みんな家族」に集中して着実に撮っていきたい。オヤジ臭いかもしれないけど、やっぱりそうした積み重ねですよ。あまりにも先のことを見て着地しても、その間が空っぽだったら、意味がないと思うし。

---他に撮りたいものはありますか?

テーマで言うと、「地域」ですね。いろんな町に行って、その地域で暮らしている人たちの集合写真のようなものを撮ってみたいですね。たとえば20人とか50人とか大人数で。そこに住む人たちの姿を一番表現できる設定や、シチュエーションをみんなで話し合いながら決めていったり、それまで関わりのなかった人同士を繋げたり、今ある結びつきをさらに深めたり……そんなことができたらいいなと思います。

あとは、地元の幼なじみも気になりますね。最近、「本当は人間みんな家族じゃないの?」っていう思いがあるんです(笑)。だから、まずは一番近くにある存在の親友や地元の友達から考えてみたい。ですから、そのあたりにも、ものすごく興味があります。

---家族写真を撮り始めたところから、
テーマも活動もどんどん広がっていきますね。

写真を仕事にする場合、「こういうのが売れるだろう」、「こうすれば注目されるだろう」ということに力を傾けていくと、失敗した時、目も当てられないんです。でも、自分がやりたいことや、純粋に知りたいことの答えを見つけるためにやったことだったら、たとえ写真集が出なくても、失敗しても納得できるんですよ。

写真集を出すためだけにやると、結果でしか計れない。出るのは嬉しいにきまってるけど、でも本当の喜びってそこじゃないでしょう?自分の声に耳傾けて撮り続けていれば、何があってもやっていけるし、楽しいと思える。写真がもっと自分に密接になっていく。写真をやっている人にまず、喜びがないと。それがあるのが“正常な写真”だと思いますよ。仕事にしている、していないに関わらず、写真を撮る喜びを味わっている人が、写真家なんだと思います。

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Profile プロフィール

浅田政志
Masashi Asada

1979年三重県生まれ。
2000年日本写真映像専門学校研究科卒業。2003年東京へ。2004年よりスタジオフォボスにて2年半勤務。2007年写真家として独立。自身の家族写真をとりためて2007年初の写真集『浅田家』(ユトレヒト)発売。2008年『浅田家』(赤々舎)で第34回 木村伊兵衛写真賞受賞 。
「家族力」とも言うべき、家族が持つ力、その大切さをユーモア溢れる手法で伝える。他の家族を撮る「みんな家族」は、予約殺到で12〜3年待ちのプロジェクトとなった(09年7月現在)。「家族」をキーワードに、地元・地域・幼馴染・友人と、興味の幅をどんどん広げている。

URL http://www.asadamasashi.com/

Item アイテム

愛用のリュックには出身地である津市のキーホルダーがつけてある。手帳には、八咫烏の絵柄が入った和歌山県にある熊野本宮大社のシールが。自身の肩にも好きな烏が彫られている。

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