ダイビングキャッチの撮影は、カワセミの動きを読んで。視線の向きで予測できるようになるんです。

福田啓人 Photographer

もっといいものを撮りたい
毎日でも撮りたいと、そればかり思っていました

---動きが速くて、スズメほどの小さな鳥ですから、撮るのは難しいですよね。

枝にとまっている様子を撮ったり、空中で羽ばたきながら静止するホバリングを撮影することについては、慣れてくれば、それほど難しくないんです。それより、カワセミといえば、水中の魚をダイビングキャッチする鳥ですから、当然そこを撮りたい。偶然撮れることはあるんですが、やはりある程度自分でコントロールして撮れるようになるまでに、1年ぐらいかかりました。

---どうやって、その動きを撮るんですか?

慣れてくると、カワセミの視線がどこを向いているかで、ダイビングポイントを予測できるようになるんです。川面に突き出た枝にとまっているカワセミに、まずピントを合わせます。レンズを振りながらマニュアルでピントを操作するのは不可能に近いですから、オートフォーカスで撮っています。そして、レンズをカワセミの動きにトレースしていく。ただ、一羽、一羽によってもそれぞれ個性があります。まっすぐ水面に飛び込むのもいれば、一度高く飛び上がってから、水面に突っ込んでいくのもいます。それぞれ、クセがあって、それぞれの動きを経験から読んで、レンズを動かします。

---休日に早起きしてでかけるのが苦になったりしませんでしたか?

なりませんでしたね。正直言うと、写真を撮るために会社に勤めて仕事をしている感じでした(笑)。眠い時は、公園に着いてからカワセミが来るのを待ちながらうとうとするんです。そうすると写真仲間が、「カワセミが来たよ」って起こしてくれて(笑)。

でも、週末しか撮れなかったので、なかなか自分の思う写真が撮れない。ずっと、会社をやめてプロになれたら、と思っていました。
野鳥を撮って生活するのは、大変なことだとは思います。でも、そういう人は数は少ないけど存在している。日本に渡ったことのある鳥をくまなく撮っている人もいるんです。たとえば真木広造さん。日本で一番、野鳥の種類を撮られていて、野鳥図鑑やバイブルともいえる写真集を何冊も出している方です。彼ら野鳥の写真家たちの多くは、情報が入ると日本のどこへでも出かけていって写真を撮る。そして、そこで新たな情報が入ると、また次へと車を走らせる。日本に渡ってくる鳥の、海外にある営巣地まで遠征して撮る人もいるそうです。

---でも、7年間同じ鳥を撮り続けていると、嫌になることもありませんでしたか?

ええ、ありました。でも、飽きてしまったり、肉体的につらいとか、雨や雪が嫌だというのはありませんでした。プロとして活動できないんじゃ、いっそのこと写真をあきらめたほうがいいんじゃないかと思ったんです。写真が好き過ぎたんですね(笑)。それで、撮るのがいやになってしまって。でも、結局、あきらめきれませんでした。逆に、普通の人が踏み出さない一歩を踏み出してしまったというか・・・。

---会社を辞めてしまったわけですね。

会社勤めをしながら週末だけ写真を撮っていたら、思い描く作品を撮るには、何年かかるかわからない。もっといいものを撮りたい。毎日でも撮りたいと、そればかり思っていました。思い悩んだ末に、今から3年ほど前に、会社をやめてプロになりたいと父親に相談したら、やはり、「やめておけ」と。

---ご両親としては、安定した生活をしてほしかったんでしょうね。

普通はそうでしょうね。私もそのときは、もっともだと思いました。生活するには仕事をしなければならない。それが世間の常識的な考えです。周りの反対もありましたし、自分でもやはり踏ん切りがつかなくて、心の中にもやもやを抱えたままで、ずっと会社勤めを続けていました。

でも、それから約1年後に父に癌が見つかりました。5月の頭に入院して、その月の末には他界してしまって、あっという間のことだった。それは、私が将来のことについて思い悩んでいた時期でした。「少し気分転換したら?」という弟夫婦の勧めで、一緒に台湾に旅行に行っていたんです。旅を終えて成田空港に着いて、「帰るよ」と電話したら、父が倒れて入院しているという知らせを受けて。

入院してからも、写真家になりたがっていた私のことを心配していました。父は鉄道員で、線路の保全などをしていたようです。家で冗談を言うような人じゃなかった。まじめな人だったんです。怒ったりすることはあまりない、行動で教えてくれる、そんなタイプの父でした。

入院しても、「やめておけ」とは言っていたんです。でもいよいよ最期というときになって「後悔しないように生きろ」と。どっちにも取れる言葉ですよね。たぶん、会社に勤めていても、プロになっても、同じように後悔するようなことはあると思うんです。でも、父が亡くなるのを目の当たりにして、人間はいつか死んでしまう。そうであるなら、本当にしたいことをしようと・・・。

---それで決心した。

はい、父が他界して3ヶ月ほどだったと思います。まず会社をやめました。そして、プロを目指すのならちゃんと勉強しようと、東京写真学園に入学しました。入学してからも、自分の作品を講師の方々に見せて回りました。「写真集を作ってください」と。でも、実現には至りませんでした。そんな時に、ハイフォトアワードの存在を知って、これが最後のチャンスという気持ちで、応募しました。

新たな被写体に巡り合いました。
これからもひとつの種類と
じっくり向き合って撮っていきたい

---結果を待っている間どんな心境でしたか?

ドキドキでした。

---選ばれる自信はありましたか?

自信というのとは、少し違いますね。心のどこかで信じていたというか。今回、審査員の中に、ナショナル・ジオグラフィック日本版の編集長、藤田宏之さんがいらっしゃったんです。野生動物の写真が載っている雑誌としては、自分の中ではナンバー1でしたから、その方を目の前にして、すごく嬉しかったのを覚えています。

---グランプリを取り、写真集も発表されます。

7年越しの夢が叶って写真集を出してしまったら、すっかり満足して写真をやめたくなるんじゃないかとも思ったりしましたが、先日1ヶ月ほど沖縄の石垣島に行き、新しい被写体を撮影してきました。森の中にはハブが出るそうで、地元の人も入らないと言われたんですが、なんとか無事に帰ってきました(笑)。
写真家の中には、様々な種類の鳥を撮る方もいますが、私はこれからもひとつの種類をじっくりと追っていきたいと思っています。撮影に行く前は、新しい被写体にどこまで近づけるか不安に思っていたんですが、幸運なことに、とても近くで撮らせてくれる被写体と出会えました。いいものが撮れたという手ごたえを感じています。この鳥もいずれ撮りためて一冊の本にまとめられたらと思います。

---写真に出合って、福田さんの人生はどう変わりましたか?

写真集のあとがきにも少し書いたんですが、私は引っ込み思案でうまく人とコミュニケーションが取れずに、いじめにも遭いました。写真に出合う前はといえば、家の中でテレビゲームをしたりして過ごしていたんです。ところが、写真を始めてから、さまざまな仲間と出会い、自分自身が変わっていった。以前の経験はけっして愉快なものではなかったけれど、今にして思えば、弱いものの気持ちがよくわかるようになった。そう思えるんです。カワセミもほかの野生動物も人間から見れば弱い存在ですよね。写真を通して私は、人間的にも成長させてもらったと思っています。それが私にとっての一番の収穫です。

---これからの抱負を教えてください。

今、石垣島で追いかけている鳥の写真集を出すことですね。近々、また石垣へと取材旅行に行く予定です。

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Profile プロフィール

福田啓人
Fukuda Hiroto

1973年横浜市生まれ。
ネイチャーフォトグラファー。カワセミが中心の撮影だったが、現在は自然すべてが被写体と考え、新たな撮影に挑んでいる。目標は絵画のような写真。社団法人日本写真協会会員 財団法人日本野鳥の会会員財団法人日本鳥類保護連盟会員1994年 学校法人岩崎学園情報科学専門学校CG科卒業 2009年 写真の学校/東京写真学園プロフェッショナルコース卒業 同年3月、第1回「ハイフォトアワード」グランプリ受賞 10月初の写真集『カワセミ ある日、カワセミに出会いました。』を発売(雷鳥社 1680円)。

Item アイテム

レンズ:600mmF4(ロクヨン)、カメラ:キャノンのEOS-1DMark3、雲台:ザハトラーDV6SB、三脚:ジッツオ5型。雲台はレンズの重さに耐えられるビデオ用。このザハトラーはTV撮影用にも使われている。

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